朝の荷台に乗っていたもの
朝五時の農道に、軽トラが一台止まっていた。エンジンはかかったままで、白い排気が冷たい空気の中に溶けていた。荷台に泥付きの牛蒡と里芋が積まれていて、その上に濡れた麻袋が一枚かかっていた。わしはその横に立って、特に何も言わなかった。言う言葉が見つからなかった、というより、言う必要がなかった。
ここは岩手県花巻市の外れ、北上川の支流に沿って田んぼと畑が続く地帯だ。わしがこの場所に来たのは、ある料理人に会うためだった。その料理人は、花巻市内で小さな食堂を営んでいる。席は十二、カウンター六、小上がり二卓。昼と夜だけ開けていて、予約は電話のみ。ウェブサイトはない。メニューは黒板に書かれたものだけで、毎日変わる。
わしが最初にその店の話を聞いたのは、盛岡市内の居酒屋でだった。隣に座っていた初老の男が、ビールを飲みながら「花巻に変わった食堂がある」と言い始めた。「変わった」というのは、料理が奇をてらっているという意味ではなかった。「あそこの料理人は、自分で仕入れる」という意味だった。業者を通さず、農家に直接会いに行き、その日の朝に何があるかを確かめてから、昼のメニューを決める。そういう話だった。
わしは翌朝、花巻に向かった。
泥の匂いがする食材は、何かが違う
料理人の名前は、ここでは仮にKさんとしておく。四十代の半ば、背が低く、手が大きい。厨房で作業しているところを初めて見たとき、その手の動きが妙に静かだった。無駄がないというより、考えながら動いているような静けさだった。
Kさんが仕入れに行く農家は、複数ある。花巻市の東和地区に一軒、石鳥谷地区に一軒、それから北上市に近い側に一軒。それぞれ作っているものが違う。東和の農家は根菜が中心で、石鳥谷は葉物と薬味系、北上寄りの農家はきのこと山菜の類いを扱っている。Kさんはこれらを組み合わせて、その日の食材を決める。
「業者から買えばもっと楽ですよ」とKさんは言った。「でも、業者から来る野菜は、すでに選別されている。傷があるものは来ない。規格外は来ない。でも、傷があるものの方が旨いことがある。規格外の方が香りが強いことがある」
わしはその話を聞きながら、コーヒーを飲んでいた。Kさんの食堂の厨房の隅に置かれた、古い電気ポットで沸かした湯で淹れたコーヒーだった。薄かったが、温かかった。外はまだ暗かった。
「農家に会いに行くと、その人の状態がわかる」とKさんは続けた。「今年は天気が悪かったとか、腰が痛くて管理が行き届かなかったとか。そういうことが、野菜の顔に出ている。それを知った上で料理すると、何かが変わる気がする」
わしは「気がする」という言葉を、Kさんが選んだことが気になった。断言しない。確信があっても、断言しない。その慎重さが、料理人としての誠実さなのか、それとも長年の経験から来る謙虚さなのか、わしにはわからなかった。
荷台の上の会話
翌朝、Kさんの仕入れに同行させてもらった。朝五時出発。わしはまだ眠かった。花巻の朝は、十一月に入ると骨まで冷える。Kさんの軽トラの助手席に乗り込んだとき、ヒーターがまだ効いていなかった。
東和地区の農家に着いたのは、五時半を少し過ぎた頃だった。農家の主は六十代の男性で、すでに作業着姿で畑の端に立っていた。二人は特に挨拶もせず、荷台を一緒に覗き込んだ。牛蒡、里芋、それから細い蕪が数束。
「今日の蕪はどうですか」とKさんが聞いた。

「昨日の霜でちょっと甘くなった」と農家の男性が答えた。
それだけだった。値段の話は、ほとんどしなかった。後で聞いたら、大体の相場は長年の付き合いで決まっていて、細かい交渉はしないということだった。「交渉すると、関係が変わる」とKさんは言った。「商売の関係になると、いい野菜が来なくなる。不思議なものですよ」
わしは貿易の仕事を長くやっていたから、値段の交渉がいかに関係を変えるかは身に染みてわかっていた。ただ、食材の仕入れでそれを言う人間に会ったのは、あまり記憶がない。あるいは記憶が飛んでいるだけかもしれない。わしの記憶は、疲れているときに限って飛ぶ癖がある。
黒板の文字が変わる理由
昼の営業が始まる前、Kさんは黒板の前に立って、チョークを持ったまま少し考えた。今日の食材は、牛蒡の炊き込みご飯、里芋の味噌汁、蕪の薄切り漬け、それから昨日仕入れた石鳥谷の春菊を使った小鉢。それだけだった。
「少ないですね」とわしは言った。
「多くしても、食べてもらえない」とKさんは言った。「お客さんは、何を食べるかを決めに来ているわけじゃない。今日の花巻で何が旬かを、食べに来ている。だから、多い必要はない」
わしはその考え方が、どこかで聞いたことがあるような気がした。でも、どこで聞いたかは思い出せなかった。北米の誰かだったか、東南アジアの誰かだったか。貿易の仕事をしていると、似たような哲学を持つ人間に、異なる言語で何度も出会う。食材の話をしているのに、その人の生き方の話を聞かされているような感覚になる。あれは何だったのだろうと、今でも時々思う。
昼の客は、十二席がほぼ埋まった。年配の女性が多かったが、若い夫婦も一組いた。子どもを連れていた。子どもが里芋の味噌汁を、音を立てて飲んでいた。Kさんはその音を聞いて、少し笑った。わしもなんとなく笑った。
石鳥谷の春菊と、わしの昔の話
石鳥谷地区は、花巻市に合併される前は稗貫郡石鳥谷町だった。南部杜氏の里として知られていて、酒造りの文化が根付いている。春菊はその土地で昔から作られてきたわけではないが、Kさんが関係を作った農家が十年ほど前から栽培を始めたという。
Kさんがその農家と出会ったのは、盛岡市の朝市だった。「変な春菊を売っているおじいさんがいた」とKさんは言った。「変な、というのは、香りが強すぎる。普通の春菊の三倍くらい香る。売れ残っていた。わしが全部買った」
「全部?」
「全部。で、どこで作っているか聞いたら、石鳥谷だと言った。それから付き合いが始まった」
春菊の香りが強いのは、肥料の加減と収穫のタイミングによるところが大きいらしい。その農家は独自の判断で、一般的な収穫時期より少し遅く摘む。その分、香りが立つ。市場に出せば規格外になるが、Kさんは喜んで引き取る。
わしはその春菊の小鉢を食べた。胡麻和えだった。春菊の香りが、口の中で少し遅れて来た。嚙んだ後、数秒してから鼻の奥に広がる感じがした。その遅れが、何か意図的なものに感じられた。Kさんに聞いたら、「胡麻の油分が香りの立ち上がりを少し遅らせる」と言った。「それが好きで、この組み合わせにしている」
意図があった。当然だが、改めて確かめると、何か重みがある。
仕入れは、関係を買っている
Kさんが農家と関係を築くまでには、それなりの時間がかかっている。最初の農家と付き合い始めたのは、この食堂を開く前の話で、当時Kさんは盛岡市内の別の店で働いていた。そのときから、個人的に農家を訪ねる習慣があったという。
「最初は迷惑がられた」とKさんは言った。「突然来て、野菜を売ってくれと言っても、農家は困る。量がわからない、頻度がわからない、信用もない。断られることが多かった」
転機になったのは、一度だけ農家の収穫作業を手伝ったことだった。頼まれたわけではなく、畑に行ったら人手が足りなそうだったから、自分から申し出た。それだけのことだったが、それ以来、その農家との関係が変わった。「野菜の話をするようになった。どうやって育てているか、今年は何が難しかったか。そういう話を聞けるようになった」
仕入れは、野菜を買う行為ではなく、関係を維持する行為だ、とKさんは言った。その関係の中に、食材の質が宿っている。逆に言えば、関係が切れると、質が変わる。値段を下げようとした瞬間に、何かが変わる。
わしはその話を聞きながら、かつて仕事で関わったいくつかの取引を思い出していた。うまくいったものと、うまくいかなかったものの違いが、Kさんの話と重なる部分があった。食材の仕入れと国際貿易は違う、と言えばそうだが、人間と人間がものを渡し合う行為の本質は、どこかで共通している気がした。気がする、という言い方しかできないが。
旬を黒板に書く、ということ
Kさんの食堂には、メニュー表がない。黒板だけだ。黒板の文字は、Kさんが毎朝仕入れから戻った後に書く。書いた後で、食材が足りないと気づいて消すこともある。昼の途中で品切れになることもある。

「お客さんは怒らないですか」とわしは聞いた。
「慣れている人は怒らない。初めての人は、たまに困った顔をする。でも、説明すると、大体わかってもらえる」
説明、というのはどういう内容か聞いたら、「今日の食材がどこから来たか話すだけ」と言った。「花巻の東和から来た牛蒡で、今日の朝収穫したものです、と言う。それだけで、だいたい伝わる」
わしはその「伝わる」という感覚が、どこから来るのか少し考えた。産地を言えば納得する、というのは単純な話ではない。そこには、自分が食べているものが、今日この土地で生まれたという実感があるからだと思う。食べ物が、抽象的な商品ではなく、具体的な時間と場所を持っているという実感。それがあると、品切れも許せる。
岩手県の地産地消という話をするとき、わしはよく「南部鉄器」と「わんこそば」の話が先に来ることに、少し疲れを感じる。それらは大事だが、Kさんの食堂のように、毎朝農道を走って泥付きの野菜を受け取るという行為の中にある文化は、もっと地味で、もっと持続している。観光案内には載らない。だが、それが地域の食文化の本体だと、わしは思っている。
北上市の農家が言ったこと
Kさんの仕入れ先の一つ、北上市に近い農家は、きのこと山菜を扱っている。この農家の主は、七十代の女性で、夫を数年前に亡くしてから一人で管理している。規模は大きくない。
わしがその農家を訪ねたとき、玄関先で干し柿が吊るされていた。軒下に、細い縄で何十個も連なっていた。その光景が、何か懐かしいような、でも自分の記憶の中にあるものとは少し違うような感覚で目に入った。
農家の女性は、Kさんとの関係についてこう言った。「あの人は、食材を大事にしてくれる。大事にしてくれる人に渡すと、育てた甲斐がある」
それ以上は言わなかった。お茶を出してくれて、わしたちは少しの間、干し柿を見ながら座っていた。外の風が、縄を少し揺らした。
わしは、食文化というものが、こういう場面の積み重ねでできているのだと思った。レシピでも、料理法でも、食材の産地情報でもなく、干し柿が揺れる軒下で、お茶を飲みながら黙っている時間の積み重ね。
日本食が海を渡ったとき、何が残ったか
余談になるが、わしは貿易の仕事でバンクーバーに長く滞在したことがある。バンクーバー市内のある地区には、日本食を出す店が集まっている一角があった。当時、その店の一つに何度か入った。ラーメンを出す店だった。
旨かった。ただ、何かが違った。スープの温度ではなく、食材の話だ。麺は現地の製麺所が作っていたが、その製麺所は日本から技術を学んだ人間が作った店で、本人は東京出身だと聞いた。チャーシューの豚は、ブリティッシュコロンビア州の農場から来ていた。醤油はカナダ国内で作られた日系メーカーのものだった。
日本食が海を渡ると、食材が変わる。食材が変わると、味が変わる。変わった味が、その土地の「日本食」になる。それは別に悪いことではない。ただ、それはすでに日本の地方食文化ではない。バンクーバーの食文化だ。そこから日本の地方を評価しようとすると、何かがずれる。ずれたまま評価されると、地方の料理人は困惑する。Kさんのような料理人は特に。
Kさんの料理は、花巻の土と水と農家の手から来ている。それをバンクーバーの文脈で測ることは、できない。
仕入れの先にあるもの、あるいはないもの
Kさんの食堂で夜の営業を見ていたとき、客の一人が黒板を指差して「この蕪、どこのですか」と聞いた。Kさんは「花巻の東和です、今朝収穫したやつです」と答えた。客は「ああ」と言って、少し頷いた。その「ああ」の中に、何かが入っていた。安堵とも、納得とも、少し違う何か。
わしはその「ああ」を聞いて、地産地消という言葉の本当の意味を少し考えた。地産地消は、食材の流通の話ではなく、人間が自分の足元を確かめる行為だと思う。今日食べているものが、今日この土地で生まれたということを確かめる行為。それが、食堂の黒板と、農道の軽トラと、干し柿の揺れる軒下を、一本の線でつないでいる。
Kさんに、今後どうするか聞いた。店を大きくする気はあるか、と。
「ない」と即答だった。「大きくすると、仕入れの仕方が変わる。変わったら、今の料理ができなくなる」
それだけだった。わしはその答えに、何も言い返せなかった。言い返す必要もなかった。
花巻の朝に、わしが思い出せなかったこと
仕入れに同行した朝、軽トラの助手席でわしは少し眠ってしまった。Kさんが石鳥谷に向かう農道で、エンジンの振動と薄明かりの中で、気づいたら目を閉じていた。

目が覚めたとき、外は少し明るくなっていた。田んぼの向こうに北上川の霧が見えた。Kさんは何も言わなかった。わしも何も言わなかった。
春菊の農家に着いて、荷台に袋が積まれるのを見ながら、わしはずっと何かを思い出そうとしていた。似たような朝の光景を、どこかで見たことがある気がした。岩手ではない。もっと南か、あるいは東北でも別の場所か。記憶が定まらなかった。
結局、思い出せなかった。
そういうことが、最近多い。疲れているのかもしれない。あるいは、似たような朝が積み重なりすぎて、どれがどれかわからなくなっているのかもしれない。
ただ、その朝の冷たい空気と、春菊の香りと、Kさんの大きな手が袋を受け取る動きは、今もはっきり覚えている。記憶というのは、不均一だ。消えるものと、残るものの間に、理屈がない。
料理人と生産者の間にある、名前のないもの
地産地消という言葉は、今やあちこちで使われている。農林水産省のパンフレットにも、道の駅の看板にも、東京の高級レストランのメニューにも。その言葉が広まるにつれて、言葉が軽くなっていく感じがある。
Kさんのやっていることは、地産地消という言葉で説明できるが、説明しきれない部分がある。農家の腰が痛かった年の野菜を、それでも引き取る行為。収穫作業を手伝う行為。干し柿の軒下でお茶を飲む時間。それらは、仕入れの技術ではない。
関係だ。長年かけて作られた、特定の二人の間にある関係。それは他の誰かが真似できるものでもなく、マニュアル化できるものでもない。
だから、Kさんの料理は、Kさんにしか作れない。花巻の東和の牛蒡と、石鳥谷の春菊と、北上寄りの農家のきのこを組み合わせた、今日の花巻の食卓。それは今日だけのものだ。明日は少し違う。来年は、もっと違うかもしれない。農家が変われば、野菜が変わる。野菜が変われば、料理が変わる。
その変化を、Kさんは怖れていないように見えた。
最後に書いておくこと
花巻を離れる日、わしは駅のホームで盛岡行きのShinkansenを待ちながら、Kさんの食堂で食べた牛蒡の炊き込みご飯の味を思い返していた。
炊き込みご飯は、難しい料理だと思う。主役が米なのか、具材なのか、判然としない。すべてが溶け合って、何が中心かわからない料理だ。でも、それが旨い。牛蒡の土の香りが、米に移って、全体が一つの温度になっている。
わしは、地方の食文化というものが、その炊き込みご飯に似ていると思う。料理人と農家と土と季節と、誰が主役かわからない。でも、それが一つの温度になったとき、何かが成立している。
成立している、と書いたが、確信はない。わしが感じた、ということだ。感じた、ということしか書けない。それで十分かどうかは、読んだ人が決めることだ。
ホームに風が入ってきた。冷たかった。わしはコートの襟を立てて、少し目を閉じた。