
“わし”で話す理由がある。
知っている方も、はじめましての方も——わしのページへ来てくれて、ほんまにありがとうございます。ここから少しだけ、「わし」という人間の紹介をさせてください。
名前は、お会いした時のお楽しみってことで。普段は 「熊先生」 と呼ばれています。そっちの方が、わしもしっくりきます。 このニックネームの由来は、アメリカ留学から帰ってきた後に、地方でやっていた 小中学生向けの無料英会話学校でボランティア講師をしていた頃。生徒たちが「先生の本名、発音むずい!」となりまして(笑)、「じゃあニックネームでいこか」となったんです。そこで誰かが一言。「先生、熊みたいにでかいから 熊先生 やな!」
——その瞬間から、熊先生として生きることになりました。気づけば、えらい長い付き合いです。
あと、わしが自分のことを「私」じゃなくて 「わし」 と言うのも、理由があります。「私」って丁寧でええけど、ちょっと距離ができる気がする。わしはもう少し近い感じで話したい。だから普段から「わし」。これが、わしのスタイルです。
向き合う理由がある。
わしは留学していた割には、英語が「得意です!」と胸を張れるほどではありません。それでも異文化交流が大好きなんです。そこがまた、ややこしい性格でして(笑)。
最近は留学先の縁が続いたり、新しい海外の知り合いが増えたりで、せわしない日々です。これを「それが仕事?」と勘違いされることもありますが、仕事は別です。
ただ、海外の人と話す時間はわしにとって大事な学びです。相手と向き合うと、「わしは日本人」であることを実感するし、相手から見れば、わしもまた外国人。だからこそ、分かり合おうとする時間そのものに価値があると思っています。文化や習慣、考え方の違いが少しずつ見えてくると、余計な衝突も減って、気持ちよく共存できる——わしはそう信じています。
そしてこの姿勢は、仕事にも直結します。
決めつけずに聞く。確認する。小さなズレを放置しない。これだけで結果は変わる。交流は趣味に見えるかもしれませんが、わしにとっては「人と向き合う練習」です。今日も縁を大事にしながら、動いています。


外とつなぐ理由がある
わしは海外との貿易に、**25年以上(2026年時点)**関わってきました。
出発点は自動車関係の会社。そこで貿易の基礎を叩き込まれ、右も左も分からんまま揉まれた経験が、今のわしの原点です。 その後は機械、アパレル、食品と、分野を変えながら輸出入を続けてきました。海外へ足を運び、現地の市場を見て、相手と会って話して分かったことがあります。それは、日本の中小企業は他国に比べて、「自社で貿易すること」に必要以上にビビってしまう場面が多いということ。気持ちは分かります。言葉、契約、物流、決済、トラブル対応…考えることが山ほどある。でも順番に整理すれば、ちゃんと道は作れます。大企業は量産が強い。けど地方には、地方だからこそ作れるほんまにうまい味がある。派手じゃないのに、丁寧で、どこか懐かしい——そんな味が埋もれてしまうのは、もったいない。
だから今のわしは、日本企業と海外企業の架け橋役をしています。
目的は「外に売る」だけじゃなく、**地方が元気になる流れ(地方創生)**も一緒に作ること。食をきっかけに、文化も想いも届くように。わしはこの仕事を、本気でやっています。
伝える理由がある。
わしは外食が多めです。家で作るのも大好き。
ただ、もし自分の店を持ったとしても「うちの店、うちの店」ばかり言うのは、わしが考える地方創生の筋からズレる気がしています。
大都市なら、少し歩けばおいしい店に当たります。でも地方はそう簡単じゃない。人口が少なく、高齢化も進んでいる地域が多いからこそ、一日の売上が明日につながる。そんな現実も見えてきます。
だからこそ、わしは うまい料理を出して踏ん張っている店を紹介したい。
最初は近所かもしれない。でも、旅先や出張先で出会った「これは誰かに伝えたい」と思う一皿も、ちゃんと届けたい。そういう小さな紹介の積み重ねが、少しでも地方に光を当てて、結果として地方創生につながる——わしはそう信じています。


出会う理由がある。
日本には、地域ごとに独特な調味料が山ほどあります。ところが多くは地産地消で回っていて、海外にはまだまだ知られていないものが実に多い。もちろん海外にも、わしたちが知らん調味料がいっぱいある。つまり——知らん味同士、まだ出会えてないだけなんです。
調味料って、知れば知るほど料理が進化します。
「この味、好きやな」
「これ、あの料理に入れたら化けるかも」
「これは合わんけど、こっちはどうや?」
こんなふうに、台所の発明が増えていく。そういう瞬間が、わしはたまらなく好きです。
大量生産の調味料は安くて便利。普段使いにはほんま助かる。
でも、昔ながらの製法で作られて、長年愛され続けている調味料は、これから先も絶対に必要な存在やとわしは思っています。
この仕事をしていると、地方で頑張っている企業が「知られていない」現実を何度も感じます。中には先祖返りしたみたいに、あえて昔の製法へ戻す会社もある。逆に、常識を破って新しく作ったのに、良さを伝えきれずに消えていく商品も見てきました。…もったいないんですよ、ほんまに。だからわしは、「こういうのがここにあるよ」を国内だけじゃなく海外にも伝えていきたい。意外と海外の人って、チャレンジ精神が旺盛で新しい味にワクワクする人が多い。そこに、日本の調味料が刺さる瞬間がある——わしはそう信じています。
続ける理由がある。
わしは子どもの頃、裕福とは言えない家庭で育ちました。春になると土筆を買い物袋いっぱい採ってきて、お婆さんと一緒にガクを取って、土筆の卵とじを丼にしてよく食べていました。お婆さんも同じような環境で育った人で、「食べて生きる工夫」をたくさん教えてくれました。
今でも忘れられないのが、わしの料理デビュー作——「砂糖たっぷりのスクランブルエッグ」です。
お婆さんが一口食べて、「……料理の仕方を教えてあげるわ」と言った瞬間、わしの料理人生が始まりました(笑)。卵ひとつでも、だし巻き、オムレツ、目玉焼きと世界があって、使う調味料も違う。あの発見が幼心に刺さって、そこから料理番組や本を見たり、お婆さんの手元を覗き込んだりしては、勝手に味付けを変えて失敗し、まずいものも残さず自分で食べて反省していました。
その結果かどうか分かりませんが、中学・高校の家庭科はいつも満点。
食べる人の笑顔も好きですが、作り手が真面目な顔で仕上げて、お客さんの笑顔を見てふっと微笑む——あの瞬間が、わしはたまらなく好きなんです。だから食の仕事には、ずっと憧れがありました。そしてこの年になってようやく、「笑顔をつなぐ側」に回れる仕事ができると思い、今の道を選んでいます。
わしが思うに、食事は人が一番ストレスを手放せる時間やと思っています。生きるために食べる。でも食べられないものは、体調や環境で人それぞれ変わっていく。だから「押し付ける」「禁止し合う」ことは、わしの中ではタブーです。食事は、自己のエゴで殴り合う場じゃなくて、笑顔を紡ぐ時間であってほしい。
そしてここまで来られたのは、多くの方のおかげです。
貿易の基礎を叩き込んでくださった企業様、バイヤーとして何度断られても向き合ってくださった企業様、生産者の方々の「がんばれ」という応援。商社勤めの頃、輸出で一緒に悩み、解決し、これからという時にコロナで止まってしまったにも関わらず、今でも感謝の言葉をくださる方もいます。そんな人たちの思いが、今もわしの背中を押してくれています。
だからわしは、これから日本から海外へ展開したい方々の力に、微力でもなりたい。
迷惑をかけることもあるかもしれませんが、皆様の力を最大限に活かせるよう、これからも精進してまいります。